― テレビ出演や、書籍の出版、V字回復のストーリーがミュージカルになるほどの大変化を遂げられていた野村文吾さんですが、なぜ、世間的な絶頂期にも見える時期に、須田達史に師事しようと思われたのですか?
野村「出会いはですね、ナレッジプラザという佐藤 等(さとうひとし)先生が展開されていた勉強会に、須田さんが講師として来られた時のことなんです」
― その当時、野村さんはどういう状況だったんですか?
野村「私自身、十勝バスの経営を引き継ぎ、10年以上にわたり、様々な苦難を乗り越え、やっと成長というか、進化への兆しが見えてきた頃だったんです。
路線バスとして、乗降客数が前年比を上回るという全国初の結果が出るなど、私自身にとっても、路線バス業界としても、奇跡的な結果が出始めていたタイミングでもありました。
テレビのドキュメンタリー番組や、書籍、ミュージカルで取り上げられるという流れもあった時期ではありました」
― そこで、須田塾長と出会われたんですね?
野村「今でも、忘れられないんですが、初対面の須田さんに『野村さん、なんで、あなた、そんなに格好悪いんですか?』って言われちゃったんですよ。
もう、その後の私はひどくて。もちろんその日は飲みに飲んで。
三日酔いって言ったらいいのかな。もう、三日間布団に潜り込んで、ずっと布団から出られなかったんです」
― 須田さんの一言が、なぜ、そこまでインパクトがあったんですか?
野村「正直な話、世間的には結果が出始めてはいたけど、『得体の知れない不安』みたいなものに、当時ずっと悩み続けていたんです」
― 得体の知れない不安、といいますと?
野村「たとえば、十勝の経営者の後輩達から、慕ってもらっていても、なんだか応えられないという感覚とか。私なんかが、何を言ったらいいんだろう? とか。経営者としても、地域の先輩としても、他にも、どんな立場においても、なぜか当時は不安で、しかたなかったんです」
― そんなタイミングで須田塾長に出会ってしまった、、、と。
野村「はい。今でこそ、須田塾長の目も優しくなりましたけれど。
私が出会った当時の目は、野獣そのものでしたね(笑)。
もう、見れない。怖くて、怖くて。この方怖いな~~~という感じでした。
― 野村さんがそう思われるって相当じゃないですか?
野村「私の自信のなさもあったと思うんです。周りはワイワイガヤガヤ飲んでるのに、須田さんだけは、私のことをじっと見てるんです。
目は動かないし、まばたきもしない。
で、言われたフレーズが、『野村さん、なんで、あなた、そんなに格好悪いんですか?』ですからね。寝込みますよ、私も」
― 寝込んでた間にどんなことがあったんですか?
野村「もうね、自信喪失で、布団にくるまってたんです。だけど、あの眼が追いかけてくるんですよ。
須田さんの野獣のような眼が襲いかかってくるんだ。
逃げようとしても逃げられない、あの睨みが。
だけどね、その眼をじっくり見てみたら、目の奥に優しい光が隠れている気がしたんです。これは、須田さんから逃げてる場合じゃない、と。ちゃんと師事して教えを受けなきゃならない、と思ったんです」
― 中心道に入門して、どんな体験がありましたか?
野村「須田塾(現:人間塾)に入って、須田さんから『文吾さんの夢ってなんだい?』って聞かれたんですよね。当時、私は恥ずかしかったし、私なんかが夢なんて語れないですよ。。。って言ってたんだけど、須田さんが『ここは、初島(当時の会場、静岡県熱海市の離島)だし、世間から隔絶されたところだから、自由に言っていいんですよ』って話してくれたんです。
何度か、そんなやりとりがありながら、露天風呂から太平洋を、じっと眺めるうちに出てきた言葉あるんだよね」
― その夢とは?
野村「空飛ぶバス会社をやりたい、やっと出てきた言葉がこれだった」
― えっ、空飛ぶバス会社ですか?!
野村「そう。だけど、須田さんは、これを承認してくれたんだ。『そう、それでいいんだよ!』って、須田さんは言ってくれたんだよ。
そして、『志を立てなさい』って付け加えてくれたんです。そこで思い浮かんだのが、『国を動かす!』なんです。
当時の私は、十勝バスでうまくいきかけていた公共交通の仕組みを全国に広げたかったんです。私が言ってるだけだと伝わらないから、国土交通省にも認めてもらって、応援して欲しかったんです。
『全国に広げたい』
『国土交通省に応援してもらいたい』
という2つの『国』をテーマにして、よし!『国を動かす!』だ、って社員の前でも宣言したんです」
― 中心道の稽古を通じて気づいたことはありませんか?
野村「本当にたくさんのことがあるんですが、氣とか間とか、とにかく目に見えないもの、耳に聞こえないものを感じることを稽古を通じて、何度も体験させてもらっています。
たとえば、中心道では、コミュニケーション武道という言い方をしますけど、『相手のことを受け入れる』ということにしても、やろうとしても、そうそうできない。
出来てないっていうことを、まず稽古で感じられる。そして、どうしたら受け入れられるのか?も稽古を通じて感じられる。こういうことを繰り返しているから、現実世界でも、いざという時に、実践できるようになっていたりするんだと思います。
― 具体的に、何か例に挙げられるようなことってありますか?
野村「たとえば、国土交通大臣にお会いする時間をいただいたときのことなんだけど。十勝から提案したいことがいくつかあったんです。で、15分話せる時間をいただいたんです。
私としては、粗相のないよう、失礼のないよう、気をつけて、まずは自己紹介してって思うじゃないですか。
だけど、実際にその時になると、国土交通大臣がこう言うんですよ。
『あなた(野村)のことは調べ上げてる、余計な話はいいから、言いたいことを話しなさい』って」
― 国土交通大臣に時間をもらえるのも普通じゃないですけど、展開もすごいですね
野村「普通だったら、急展開にドギマギしちゃうのかもしれないし、昔の私だったら面食らったかもしれないですよ。
だけど、想像以上に私は冷静でいられて。
『はい、では本題に入らせていただきます』って自然体でいられたんだよ。で、持って行った提案のうちいくつかはすぐさま採用してもらえたんです。
稽古の中でも、須田塾長から『中道』でいることを何度も教わりますが、今思うと、この時の私は、力み過ぎることもなく、でも気力は充実していたというか、相手との間合いがまさに中道の状態にいられたんじゃないかなと思うんです。こういうのも稽古してなかったら出来なかったことでしょうね」
― 「国を動かす」とは、とても壮大なテーマに聞こえますが、具体的にはどうお考えなのでしょうか?
野村「国を動かすと掲げて、では、どうしたらいいのか? と考えました。そこで思い当たるのは、やはり人財育成です。『国を動かす人財を育成する』これが鍵だと思いました。
私は常々、教育が変わらなければいけないと、ずっと思っていたんです。「国を動かす」という志を立てたちょうどその頃、須田塾長から『中心道文武両道教育を、日本に遺したい』という話をうかがったんですね。
応援させてください! と、もちろん即答させていただきました。
文武両道という、言葉自体はずっとありましたが、まだまだ浸透してないと感じていました。しかし、自分自身も稽古を通じて感じていますし、稽古をしている仲間の姿を見ていても、この『文武両道教育』は、人間を覚醒させる、ものすごい鍵だと感じます。
それこそ、未来の日本を良くするのは、文武両道教育を体感した人じゃないだろうかと、いつも思うんです」
― 最後に、これからのビジョンを教えていただけませんでしょうか?
野村「人の営みは、「移動手段=交通」なしに出来ることはありません。だから、地方交通が活性化するということは、実は地方経済も活性化するってことなんです。
これは、逆のケースを見てみるとイメージしやすいと思うんですが、鉄道でもバスでも、公共交通が廃線になったりすると、人口の減少が加速してますます元気がなくなってしまうことが多いですよね。一方で、新幹線が通ったり、高速道路が出来たりすると、その地域が活性化するということがあります。
『十勝の人は、新しいことにチャレンジする面白い人が多いよね。』と、各方面でおっしゃっていただくことが少なくありません。手前味噌ではありますが、その一翼を十勝バスが担わせていただいているという自負もあるんです。
私の本業はバス事業ですから、十勝でうまくいったことを、まずは全国に展開したい。全国の各地方で、公共交通が活性化していくことで、日本全国が元気になっていくことに貢献したい。交通を通じて、地方から素晴らしい日本を創造していこうとしています。
さらに言うと、バス事業は、設備投資がたくさん必要になる『ハード』事業ですが、考え方やノウハウといった『ソフト』面に関しては、自分の地域以外に、世界に輸出が可能だと思っているんです。日本で暮らしている私たちにとっての『当たり前』は、海外に行くと、決して『当たり前』ではありません。日本のような、真面目で正確で、思いやりのある『日本式バス事業』を海外に伝えていくことで、日本をもっと好きになってもらう、というのが今の私の役割だと考えています」
野村文吾さん、インタビューにご協力いただき、ありがとうございました!